端宗忠臣歴史館、オープンからわずか20日で閉鎖
朝鮮日報の日本語版HPに、さりげなくこんな記事が出ていました。
http://www.chosunonline.com/news/20110806000035
>「端宗忠臣歴史館」(ソウル市銅雀区)が今月3日、オープンからわずか20日で一時閉館する事態に追い込まれた。当初は「死六臣歴史館」という名称で開館する予定だったが、展示の範囲を拡大し、端宗(朝鮮王朝第6代国王)のため筋を通した32人の忠臣を取り上げ、歴史館の名称を変更したことが問題を招いた。もともと死六臣とは、朝鮮王朝第7代国王の世祖がクーデター(1453年の「癸酉靖難」)を起こし政権を掌握した後、前国王端宗の復位を計画して死刑に処された成三問、河緯地、イ・ゲ、朴彭年、柳誠源、兪応孚ら6人のことを指す。この死六臣に加え、癸酉靖難後に工曹判書に任ぜられ「7番目の死六臣」とも呼ばれる、金文起を含めたのが原因だった。7月14日のオープン前から、死六臣の子孫たちが反発し、これに金文起の子孫たちが対抗、騒動に発展した。
長いですけど、ここまで引用です。
…どんなものを展示していたのか、ちょっと見たかった気もします。
いやあ、凄いなあ。
だって、この「死六臣」の話って、1453年のことなんだよ。
オスマン帝国がコンスタンティノポリスを攻略した年だよ。
英仏百年戦争が終わった年だよ。
足利義政のころだよ。
そんな昔のいざこざを、子孫がまだ引きずっているあたり、淡泊な日本人には考えられない。
結局、この「死六臣」って、要するに王朝のお家騒動に巻き込まれた臣下が節に死す…という、まあいい話なんだけど。
ただ、朝鮮王朝らしく、事態は宮廷政治と党争がからみ、儒教的君臣論でくるまれているので、切ったはったでけりをつけたがる日本人にはきわめてもどかしい話でもあります。
韓国では人気のあるエピソードらしい。
だから、この「歴史館」は日本でいえば「赤穂浪士記念館」や「新撰組記念館」みたいなものなんだけれど、なんでこんな大騒ぎになるのか、わからない。
「死六臣とその仲間たち」みたいな感じで、入れてやればいいじゃん。
けれど、こういうあたりに韓国人的世界観がのぞいていて、きわめて面白い。
今回のうっとうしい例の島事件をめぐって、ある評論家が述べたように「狭量な民族性」とまでは言わないが、半島の人たちはなんでもずっと覚えているのです。忘れっぽくてすぐ水に流す日本人とはものすごい違いです。
そんな彼らが、今回の島事件では学識経験者が音頭を取って「日本は永遠の敵」とか呼号しているのだから、日本は結局、なにをやっても許してはもらえないんじゃないかなあ。
秀吉や倭寇まで持ち出されてもねえ…。
映画自体は、言わずもがなの「三国志演義」映像化。きちんと「奇謀を用いて孔明箭を借りる」とか「長江に宴して曹操詩を賦す」とか、しっかり押さえてあります。
映画「レッドクリフ」見てきました。
これは、珍しい「グリーンクリフ」の図。
自国の伝統を思い切り断ち切ってしまったのだ。ハングルは確かに韓国語を表記するには非常に便利な文字だと思うが、機能性以外にも、文字には重要な要素があるのだなあと、つくづく思う。明治期に日本語のローマ字化なんて馬鹿なことをやらなくて、本当によかった…。「源氏物語」や「枕草子」に直接接することができる日本人は幸せなのかも。